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Posted by チェスト at

2014年02月03日

「どうせ死ぬんだから好きなことをさせてくれ」は人生の指針です

今日もここに来てくれてありがとうございます。


座禅生活190日目。


知人がガンで入退院を繰り返しています。

ガンで胃を全摘出して、食べ物を受け付けなくなって十年になります。

食事はほとんど取らず、毎日焼酎を飲んで生活しているので、よく生きていられるなあと思うくらいです。

彼が「どうせ先がないんだから飲ませてくれ」と言うと、家族はもう何も言えません。

酒をやめて少しでも食事を取ってくれれば、もう少し長く生きられそうですが、本人にその気がない。

「酒を飲めないなら死んだほうがいい」とよく言います。

一升瓶が3日くらいでなくなってしまいます。




家族はもう何も言いません。

言っても聞かないし、長く生きられないんだから好きにさせてあげたいという気持ちもあるのです。

60歳まで色々あったにせよ真面目に働いて来たので、最後くらいは好きなことをさせてあげたいという家族の気持ちです。





「どうせ先がないんだから飲ませてくれ」というのは、「どうせ死ぬんだから好きなことをさせてくれ」という論理です。

この論理は僕たちみんなに当てはまります。

僕たちはみんな必ず死にます。

先がないのはみんな同じです。

「どうせ死ぬんだから好きなことをさせてくれ」という論理はみんなに当てはまるのです。




昔流行った歌で、こんな歌詞があります。


『若い僕には夢がある
いつかきっといつかきっと
わかってくれるだろう
明日がある、明日がある、明日があるさ』




僕たちはいつも、そうやって幸せを逃すんです。

いつかきっと、わかってもらえなかったはずです。

なぜなら明日はないからです。

時間も幻想です。

この世を生きる上での約束事で、実体はないのです。

時間は存在しませんが、「今」だけは間違いなくみんなにあります。

「今」が人生で最初で最後の瞬間です。

「今」が人生最後だったら、やりたいことをするのは「今」しかないのです。




明日がないなら、いつも「今」が物事の締め切りです。

やりたくないことをやって、締め切りに間に合わない生き方は終わりにしないといけません。




時代はすっかり変わりました。

滅私奉公の時代から、1人1人が自分らしい生き方をして輝く時代です。

「どうせ死ぬんだから好きなことをさせてくれ」という論理は生きる指針にしてもいいと思います。




年をとって「死」というものが間近に迫ると、人はやっと人生を大切に生き始めます。

でもそれでは遅いのです。

人生の「どの瞬間も大切に生きる」、その積み重ねが本当に生きるということです




「明日があるさ」と言って、締め切りに遅れる人生を生きるのは終わりにしましょう。

明日に希望を持つのではなく、「いまここ」に生きましょう。

昨日もなく明日もなく、「いまここ」ですべては完結します。

続編はありません。





今日もここに来てくれてありがとうございました。

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