2014年10月15日
滝に行かなくなった理由
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座禅生活417日目。
今朝の座禅堂は冷え込みました。
秋も深まってきたようです。
鹿児島の秋は短くあっという間に終わるのですが、今年は季節感を十分に感じられていいですね。
今年の夏は滝行に一日も行きませんでした。
昨年の今頃は毎日のように行っていたのがうそのようです。
行かなくなった理由は一言で言うと、必要なくなったから。
滝の中では激しい水圧と低い水温にさらされます。
過酷な状況に身体をさらした後で静かな座禅堂で座るわけですから、そのギャップで深い座禅になります。
時を超えた静寂の中にさらされます。
まさに荒行の力。
今年は滝の代わりにプールによく行きました(笑)。
もちろん息子とです。
もともと滝行というものを「行」というほどにはとらえていませんでした。
「行きたくなったら行く」程度のこと。
言葉を換えると「滝に呼ばれたら行く」のです。
行かなくなったということは、滝に呼ばれなくなったということ。
無理に行くことはありません。

水って気持ちを流す重要なポイントです。
実際水泳をやる人で鬱の人ってほとんどいません。
水が気持ちを流してくれるから。
気持ちでも何でもため込むことは邪気をため込むのと同じ。
思いをため込むことは「今ここ」から気持ちを離れさせてしまうし、池の水もよどめば汚くなるし臭くもなります。
瞬間瞬間に気持ちを流して、成仏させるのです
滝に行かなくなったということは、それに頼らなくても大丈夫になったのでしょう
いつかまた気が向いたら行きますね。
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2014年02月23日
心身の安定がすべての基本です
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座禅生活210日目。滝行36日目。
先週は体調がすぐれない日が多かったです。
体調が悪いと、普段は受け流すようなことも自分の中にたまっていくのが分かります。
自分の中のエゴが力を出して、相手のエゴを引き寄せるのです。
エゴは相手のエゴと同化して膨れ上がります。
膨れ上がって、最後には僕たちを動かすような力を持つようになるのです。
エゴは幻想ですから、膨れ上がって僕たちに見えない影響を及ぼすのも幻想です。
そして、幻想に力を与えているのは他ならぬ僕たちです。
僕たちが自ら、自分たちではどうしようもない状況を作り出していく。
それがなんとばかばかしいことか。
でもエゴを無視すると、エゴはこっちを向かせようとあの手この手で問題を起こします。
だから無視しないで、見つめればいいのです。

きちんと向き合って見つめるためには、心身の安定が必要です。
きちんと睡眠をとって、規則正しい生活をする。
体に力がみなぎれば、自分のエゴを見つめ、相手のエゴも見つめ受け流す。
そういう余裕も出てくるものです。
先週はそういう意味で、調子がよくなかった。
夜中に何度も息子に「おしっこ」で起こされるのも、体調不良のひとつの原因ですが。
やはり体調管理はすべての基本ですね。
今日は久々の滝行。
一時的に急激に体を冷やすために、風邪のような症状が出る場合があります。
今も頭がボーっとして、体が少し熱い感じ。
今週は基本を意識して生活したいです。
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2014年02月01日
僕は自然が怖いです
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座禅生活188日目。滝行34日目。
昨日このブログを読んでくださっている人から、「滝行はいつやっているんですか?」って聞かれました。
「毎日やっています」と言いたかったのですが、実は滝行は不定期です。
座禅は毎日ですが、滝行は気が向いたらやることにしています。
特に意味も見い出さず、やりたいときにやる、タイミングがきたらやるという感じです。
日本人は真面目なので、
「物事は定期的に決めてやらないと長続きしない」
「三日坊主が一番悪い。決めたことはきちんとやれ」
と考えます。
確かにそれもそうです。
僕の場合は、自分の中に基準があって、自然の状態と心の状態が一致したときにすることにしています。
話は変わりますが、「あなたの怖いものって何ですか?」と聞かれたら何と答えますか。
動物、人ごみ、高いところ、狭いところ、暗いところ、幽霊・・・いろいろあると思います。
僕は「怖いもんなんてねえよ!」って一度は言ってみたいです。
本当は怖いものはたくさんあります。
僕が一番怖いのは「自然」です。

山に入って川のせせらぎを聞いているときとか、歩いているときに感じる空気感の変化とか、滝を目の前にしたときとか、滝に入る瞬間とか心臓がバクバクします。
何かあったら、僕の命なんてあっという間に終わります。
自然の力の前には、為すすべもありません。
自然が怖くて、自然の前では自分が無力だと知っているから、逆に自然の状態にはいつもアンテナを張っています。
雨の日とか、霧が出ている日とか、いつもと状況が違う日は滝には行かないようにしています。
もう一つは心の状態です。
「滝に行かなければいけない」とかの義務感はありません。
何かをしていてふと滝のことが頭をよぎったり、心の中に滝に入りたいという気持ちが出てきたら、行くことにしています。
自分の意思で行くのではなく、滝に「呼ばれたら行く」という感じです。
そしてそんな時は必ず滝に行くことになっていて、あとから考えると「滝に行くことになっていた」ことが分かります。
滝行には自分の意思は入れません。
気の向くまま、風の吹くままです。
そんなやり方のほうが自分に合っていて、無理なく続けられるのでそうしています。
中には21日滝行と称して、その期間は毎日滝に行く人もいるようです。
人それぞれですね。
今日もここに来てくれてありがとうございました。
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2014年01月26日
恐怖と向き合うことで人は成長します
座禅生活182日目。滝行33日目。
ひさびさの滝行。
昨日の豪雨のあとなので少し心配しましたが、水量はそれほど多くもありませんでした。
水はかなり冷たいですが、心地よく行ができて感謝です。
滝行をすることもあって最近は山に入ることが多いのですが、僕はいつも怖いです。
「山」というものが、なんとなく怖いのです。
登山が趣味という人は多いですが、僕は正直無理です。
もっと言うと、山を含めた「自然」が怖いのです。

滝に行くときは、いつも山道を途中まで車で行きます。
途中で車を止めるところがあるので、そこで車を降りて山道を歩くのですが、そこから明らかに空気感が変わります。
波動が変わるというんでしょうか、人を寄せ付けない雰囲気になります。
車を止めるその場所から急に薄暗くなり、日の光も届かなくなります。
薄暗い中、沢の水の音だけが響き、思わず引き返したくなるような感じです。
それでも一人でとぼとぼと歩いていると、何か別世界に迷い込んだような気になってきます。
いつも通る道なのに、水音が大きくなるにつれて心臓がドキドキします。
そのうち滝場につくのですが、滝を見る瞬間までドキドキは続きます。
そして滝を見た瞬間、なぜかホッとしている自分がいます。
怖いのは、僕が自然の世界とは「神の世界」だと思っているからだと思います。
一歩自然の中に入れば、僕たちは裸一貫、無力な存在です。
どんなに文明が発達しても、僕がどんなに強くなっても、自然には勝てません。
大げさないい方をすれば、僕たちは「神の使い」です。
「神の使い」だからこそ自然を大切に扱い、共生させていただき、尊敬もしなければなりません。
恐怖心は、人が一番向き合わなければならない感情です。
逃げずに正面から向き合うことで、人は大きく成長します。
なぜなら、恐怖心と向き合うことは、自分と向き合うことだからです。
ありがたいことに、滝はいつも僕を恐怖と向き合わせてくれます。
そして恐怖というものが、本当は「恐るるに足らず」ということにも気づかせてくれます。
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ひさびさの滝行。
昨日の豪雨のあとなので少し心配しましたが、水量はそれほど多くもありませんでした。
水はかなり冷たいですが、心地よく行ができて感謝です。
滝行をすることもあって最近は山に入ることが多いのですが、僕はいつも怖いです。
「山」というものが、なんとなく怖いのです。
登山が趣味という人は多いですが、僕は正直無理です。
もっと言うと、山を含めた「自然」が怖いのです。

滝に行くときは、いつも山道を途中まで車で行きます。
途中で車を止めるところがあるので、そこで車を降りて山道を歩くのですが、そこから明らかに空気感が変わります。
波動が変わるというんでしょうか、人を寄せ付けない雰囲気になります。
車を止めるその場所から急に薄暗くなり、日の光も届かなくなります。
薄暗い中、沢の水の音だけが響き、思わず引き返したくなるような感じです。
それでも一人でとぼとぼと歩いていると、何か別世界に迷い込んだような気になってきます。
いつも通る道なのに、水音が大きくなるにつれて心臓がドキドキします。
そのうち滝場につくのですが、滝を見る瞬間までドキドキは続きます。
そして滝を見た瞬間、なぜかホッとしている自分がいます。
怖いのは、僕が自然の世界とは「神の世界」だと思っているからだと思います。
一歩自然の中に入れば、僕たちは裸一貫、無力な存在です。
どんなに文明が発達しても、僕がどんなに強くなっても、自然には勝てません。
大げさないい方をすれば、僕たちは「神の使い」です。
「神の使い」だからこそ自然を大切に扱い、共生させていただき、尊敬もしなければなりません。
恐怖心は、人が一番向き合わなければならない感情です。
逃げずに正面から向き合うことで、人は大きく成長します。
なぜなら、恐怖心と向き合うことは、自分と向き合うことだからです。
ありがたいことに、滝はいつも僕を恐怖と向き合わせてくれます。
そして恐怖というものが、本当は「恐るるに足らず」ということにも気づかせてくれます。
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2013年11月11日
荒れ狂う龍の中へ
座禅生活109日目。滝行26日目。
朝の大雨のせいか、滝は水量が尋常じゃありませんでした。
滝自体が荒れ狂う龍のようで、轟音と共に水を激しくたたきつける感じ。
身体に当たる風圧や飛沫も大型台風のような勢い。
軽く恐怖感をおぼえる中、それでも滝行を敢行。
滝の中で般若心経を10巻読むんですが、入った瞬間あまりの水温の低さに身体がついていけない。
詠むどころではなく、身体がガタガタ震え、呼吸ができない。
それでも少しずつ水温に慣れながら、身体の力を抜きながら、ゆっくり呼吸をしていく。
唇も寒さで固まって、まともに詠むことができないが、それでも少しずつ読み進める。
滝に入った瞬間から3巻目くらいまではこんな状態で、一番きつい。

それでも呼吸を整えながら必死に読み続けていくと少しずつ身体が水に適応していきます。
5巻目くらいからは少しずつ身体が温まってゆるんできます。
ただこの暖かさは一時的な錯覚のようなもの。
身体は完全に冷え切っています。
8巻目あたりから再度身体が急激に冷えてきて、もはや暖かくなりません。
ガタガタと身体が震え、芯から冷え切った状態。
10巻目になると、もはや感覚すらなくなります。
10巻読み終えると「六根清浄」と100回唱え、身体の状況を見て滝から出ます。
今回もなんとか終了できました。
服も髪もびちゃびちゃでひどい姿。
でもなんとか無事に行を終えることができて本当に感謝です。
今年はあと何回行をできるのか分かりませんが、限界まで頑張ります。
朝の大雨のせいか、滝は水量が尋常じゃありませんでした。
滝自体が荒れ狂う龍のようで、轟音と共に水を激しくたたきつける感じ。
身体に当たる風圧や飛沫も大型台風のような勢い。
軽く恐怖感をおぼえる中、それでも滝行を敢行。
滝の中で般若心経を10巻読むんですが、入った瞬間あまりの水温の低さに身体がついていけない。
詠むどころではなく、身体がガタガタ震え、呼吸ができない。
それでも少しずつ水温に慣れながら、身体の力を抜きながら、ゆっくり呼吸をしていく。
唇も寒さで固まって、まともに詠むことができないが、それでも少しずつ読み進める。
滝に入った瞬間から3巻目くらいまではこんな状態で、一番きつい。

それでも呼吸を整えながら必死に読み続けていくと少しずつ身体が水に適応していきます。
5巻目くらいからは少しずつ身体が温まってゆるんできます。
ただこの暖かさは一時的な錯覚のようなもの。
身体は完全に冷え切っています。
8巻目あたりから再度身体が急激に冷えてきて、もはや暖かくなりません。
ガタガタと身体が震え、芯から冷え切った状態。
10巻目になると、もはや感覚すらなくなります。
10巻読み終えると「六根清浄」と100回唱え、身体の状況を見て滝から出ます。
今回もなんとか終了できました。
服も髪もびちゃびちゃでひどい姿。
でもなんとか無事に行を終えることができて本当に感謝です。
今年はあと何回行をできるのか分かりませんが、限界まで頑張ります。