2014年10月22日
ほら、呼吸がそばにいるよ!
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座禅生活424日目。
座禅中は呼吸を意識します。
最近はあまり入りませんが、滝に入るときも呼吸を整えてから入る。
そうしないととてもじゃないけど、長く入っていられない。
中に入ったら入ったで深い呼吸をしないと、水圧とか水温に耐えられない。
どんなに水が冷たくても呼吸さえ意識していれば、何とか耐えられます。

実生活でも同じで、呼吸の在り方が自分の在り方を決める。
忙しいときって我を忘れて目の前のことに没頭してしまいますが、呼吸だけは忘れない。
怒っているときとか感情に起伏があるときは、呼吸は浅くて速いものです。
落ち着いているときの呼吸は、深くてゆっくりです。
そこに「呼吸を止める」を加えると、さらに集中が深くなります。
吸って吐いて・・・ではなく、「吸って止めて吐いて止めて吸って止めて吐いて止めて」・・・にするのです。
物事に集中できないときにこれをやると、たちまち集中できます。
座禅のときもこれをすると、深さが変わってきます。
呼吸を大切にする→ 自分を大切にする
自分を大切にする→ 人生を大切にする
呼吸を大切にすることが、人生を大切にすることになります。
意識しようとしまいと、人は死ぬまで呼吸と同行二人です。
大切にすると、大切にされるものです。
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2014年03月19日
呼吸とともに生きる
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座禅生活234日目。
生活の中で特に意識していることに「呼吸」があります。
意識的に腹式呼吸をしっかりして、気分を調整しています。
座禅でも「数息観」というものがあります。
呼吸の数を数えて心を静めるやり方です。
僕たちは社会のことはいろいろ知っていますが、基本中の基本のことは意外と知りません。
歩き方、立ち方、呼吸の仕方、体の使い方・・・そんなことはどこでも教えてくれません。
当たり前のことだから、教わるとか意識するとかの発想はないのだと思います。
でもそれは生命活動の基本中の基本だからこそ、何よりも大事にしたいです。
呼吸は僕たちが「気づき」と共に生きるのに必要不可欠です。
まさに同行二人。
しっかりした呼吸をすると「在り方」が変わります。

しっかりした呼吸をすると、まず疲れにくくなります。
ヨガの行者などは行の一環として、呼吸の練習をするそうです。
400戦無敗の格闘家ヒクソングレーシーも毎日1時間呼吸の練習をしているそうです。
聖路加病院の日野原先生は、いつも腹式呼吸を意識していると言っています。
それが長寿にもつながるとも言っています。
生活で日々忙しくしていても、呼吸を意識するだけで「今ここ」に帰ってこられます。
気づきという面から考えると、呼吸を意識することは「今ここ」を意識すること。
呼吸とともにあれば、日常で何があっても「今ここ」にいることができます。
僕たちは生活に必死で、大事なものを見失いがちです。
当たり前を見直す必要がありそうです。
「今ここ」にいれば、大事なものと共にいることができます。
見逃すことがないのですね。
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2014年02月02日
うつ病寸前の状態で心も身体もボロボロになりました
今日もここに来てくれてありがとうございます。
座禅生活189日目。滝行35日目。
今日もかなり気温が上がって、過ごしやすい一日でした。
滝行はいつもより楽ではありましたが、水温はそれなりに低い。
雨のあとで水量も多く、行のあとは頭がクラクラしました。
真冬に頭から氷なみの温度の水をかぶるのですから、多少なりとも頭がクラクラするのは当然ですよね。
そのあとの座禅も深いところまで落ちました。
座禅もそうですが、滝行の一番いいところは、思考がすべて吹っ飛ぶところにあります。
滝に行く途中、滝に入る瞬間、滝の中でお経を唱えるあいだ、滝から出た直後、何も考えられません。
ただひたすらに、必死の状態になります。
行が終わって家に帰ってからも、しばらく何も考えられない状態です。
この「何も考えられない状態」がいいのです。
僕たちは人生の約三分の一を寝て過ごします。
起きている時間の大半は葛藤や悩みなど「思考」に費やしてしまいがちです。
何も問題がなくても、心が「いまここ」になく、過去への後悔や未来への不安に行きがちです。
実際に起きる出来事ではなく、「自分の思考」にがんじがらめになって苦しんでいることが多いのです。

昔の僕はいつも難しい顔をして、将来のことを考えるのが癖でした。
決して恵まれた生活ではなかったので、「どうやってここから脱出しようか」といつも考えていました。
もちろん人並み以上に努力もしたので、それなりの生活はできるようになりました。
でも心はいつも満たされず、もっと幸せになるためにどうしたらいいのか考える毎日。
「もっと、もっと」といつも考えていました。
そして考えれば考えるほど、思考にがんじがらめになって、うつ病寸前になりました。
思考って行き過ぎると精神もですが、肉体もボロボロにしてしまうようです。
当時は身体が疲れやすく、仕事をしていても「立っているのがやっと」っていうこともありました。
今は生活の中で考えている時間って、1日に30分くらいでしょうか。
生活のために少しは考えないといけませんが、残りの時間は風の吹くまま気の向くままに過ごしています。
思考がゼロになると、脳内モルヒネが出るのか、幸せを感じる時間も増えるようです。
恵まれた生活だなあと思いますし、周りに感謝をすることだらけです。
昔は「よく考えて行動しなさい」とかよく言われましたが、過度に考えることはマイナスも多いです。
行動までのスピードも遅れるし、何よりも大切な「いまここ」を無駄にしてしまいます。
人生は期間限定の限られた時間です。
無駄にできる時間なんてありません。
人生は楽しいこと探しの旅です。
難しい顔をして深刻に生きるよりも、力を抜いて生きませんか。
楽に生きても、誰もあなたを責める人はいません。
力を抜いて、リラックスして、気楽に生きましょう。
僕も喜んでご一緒します。
今日もここに来てくれてありがとうございました。
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2014年01月05日
カルマの解消の第一歩は気づき、認めることです
座禅生活161日目。
昨日、家族でよくいくパスタの店に行きました。
いつも通り妻と子供たちを席に待たせてオーダーをしに行くんですが、並んでいるときに背中に重苦しいものを感じました。
普段感じないような重苦しさを背中に感じ、怖くて後ろを振り向くことができませんでした。
背後に人がいて、何かを喋っているのが聞こえます。
おどろおどろしい声でした。
50歳後半くらいでしょうか。女性です。
一人でぶつぶつ何か文句を言っているのです。
吐き捨てるような口調なので聞き取りにくかったのですが、よく聞くと「~ハサギトイッショヤナイカ」「カネモットルクセニダソウトセンノカ」といったような内容。
何があったのかわからないが、何やらかなりの怒りで不平不満をブツブツと繰り返している。
周りの人が引いている中で、店員が来て「どうかされましたか?」と話しかけられると、その女性は驚いたような顔をして、黙り込みました。
そのあとは一人で座ってオレンジジュースを飲んで、そそくさと帰っていきました。
こういう怒りとか恨みに取りつかれたような人って時々見かけます。
キレてる状態ですが、それが他人には向かっていないだけましかもしれません。
キレた人を見かけると私たちは引いてしまいますが、実は私たちもそのような状態になっている場合はよくあります。
怒ったり、笑ったり、キレたり、憎んだり、いろいろな感情が私たちを訪れては去って行きます。
それが瞬間瞬間のことなので、自覚がないだけです。
どんな状態であっても、時間がたてば自然に抜け出せます。
ただ、普段から憤りや怒りや恨みの状態にある人がそこから抜け出すには、その人の力だけでは難しいです。
負のスパイラルがさらなる負を引き寄せるからです。
もっというと、その状態に何らかの居心地の良さを感じている場合が多いからです。

私が強く感じたのは霊的なものではなくて、彼女のカルマです。
カルマにも重い、軽いがあります。
私が感じたのはとてつもない重苦しいやつで、後ろから肩のあたりを押さえつけられているような感覚。
心に相当いろいろなものを溜め込んでいるんでしょう。
彼女個人だけのものではなくて、先祖からのものを受け継いでいるのかもしれません。
そしてそれは、普通は考えられないような不運を引き起こしたり、感情の爆発(キレた状態)を引き起こしたりします。
私たちは今の状況を他人や環境のせいにしがちです。
こういう状況になったのは、自分の責任ではないと言い訳ができるからです。
でも本当は、そういう状況になったのは自分の責任なのです。
最初はつらいかもしれませんが、そのことを認めることが、カルマの解消の第一歩です。
自らの心に問うてみてください
「本当は自分がその状態を望んでいないか」
「被害者でいることが心地よいと思っていないか」
「言い訳ができることに安心していないか」
すべてをさらけだして、自分に正直になって自分を観ることが必要です。
隠れる場所がなくて逃げられなくなったときに、本当のあなたが姿を現します。
本当のあなたに気づいたとき、なにも恐れることなく、本当のあなたで正直に生きることができます。
どんなひとも救われます。
自分の状態に、普段からアンテナを張っておくことが大切です。

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昨日、家族でよくいくパスタの店に行きました。
いつも通り妻と子供たちを席に待たせてオーダーをしに行くんですが、並んでいるときに背中に重苦しいものを感じました。
普段感じないような重苦しさを背中に感じ、怖くて後ろを振り向くことができませんでした。
背後に人がいて、何かを喋っているのが聞こえます。
おどろおどろしい声でした。
50歳後半くらいでしょうか。女性です。
一人でぶつぶつ何か文句を言っているのです。
吐き捨てるような口調なので聞き取りにくかったのですが、よく聞くと「~ハサギトイッショヤナイカ」「カネモットルクセニダソウトセンノカ」といったような内容。
何があったのかわからないが、何やらかなりの怒りで不平不満をブツブツと繰り返している。
周りの人が引いている中で、店員が来て「どうかされましたか?」と話しかけられると、その女性は驚いたような顔をして、黙り込みました。
そのあとは一人で座ってオレンジジュースを飲んで、そそくさと帰っていきました。
こういう怒りとか恨みに取りつかれたような人って時々見かけます。
キレてる状態ですが、それが他人には向かっていないだけましかもしれません。
キレた人を見かけると私たちは引いてしまいますが、実は私たちもそのような状態になっている場合はよくあります。
怒ったり、笑ったり、キレたり、憎んだり、いろいろな感情が私たちを訪れては去って行きます。
それが瞬間瞬間のことなので、自覚がないだけです。
どんな状態であっても、時間がたてば自然に抜け出せます。
ただ、普段から憤りや怒りや恨みの状態にある人がそこから抜け出すには、その人の力だけでは難しいです。
負のスパイラルがさらなる負を引き寄せるからです。
もっというと、その状態に何らかの居心地の良さを感じている場合が多いからです。

私が強く感じたのは霊的なものではなくて、彼女のカルマです。
カルマにも重い、軽いがあります。
私が感じたのはとてつもない重苦しいやつで、後ろから肩のあたりを押さえつけられているような感覚。
心に相当いろいろなものを溜め込んでいるんでしょう。
彼女個人だけのものではなくて、先祖からのものを受け継いでいるのかもしれません。
そしてそれは、普通は考えられないような不運を引き起こしたり、感情の爆発(キレた状態)を引き起こしたりします。
私たちは今の状況を他人や環境のせいにしがちです。
こういう状況になったのは、自分の責任ではないと言い訳ができるからです。
でも本当は、そういう状況になったのは自分の責任なのです。
最初はつらいかもしれませんが、そのことを認めることが、カルマの解消の第一歩です。
自らの心に問うてみてください
「本当は自分がその状態を望んでいないか」
「被害者でいることが心地よいと思っていないか」
「言い訳ができることに安心していないか」
すべてをさらけだして、自分に正直になって自分を観ることが必要です。
隠れる場所がなくて逃げられなくなったときに、本当のあなたが姿を現します。
本当のあなたに気づいたとき、なにも恐れることなく、本当のあなたで正直に生きることができます。
どんなひとも救われます。
自分の状態に、普段からアンテナを張っておくことが大切です。

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2013年12月21日
安心して天国へいきましょう
座禅生活147日目。
聖路加病院の日野原先生が言っていたことを思い出しました。
先生は京都大学医学部を卒業して医師になったばかりの頃、初めて担当患者を持ちました。
16歳の少女で、目の大きい美しい娘でした。
結核性腹膜炎という病気で、家が貧しく母が働いていたのでなかなか見舞いに来れず、いつも一人で寝ていました。
下痢が続き様態が悪くなって、個室に移されました。
少女は「先生、長い間ありがとうございました。母が来るまで持ちそうにないから、母に感謝していたと伝えてください」と言いました。
若かった先生は「助かるから、そんなことを言ってはいけない。お母さんもすぐ来るからがんばりなさい」と、強心剤を打ちました。
しかしそのかいもなく、少女は亡くなりました。
その後、日野原先生は思い悩まれたそうです。
あの時なぜ「安心して天国へ行きなさい」と言ってあげられなかったのか。
強心剤を打つより、彼女の手を握ってあげて安心させてあげられなかったのか、と。
日野原先生は、この世の最後に、自分が生を与えられたことに対して「ありがとう」と、自然に言えるようにしたいと言われます。
強いモルヒネを打たなくても、自分は死んでいくという意識を持って「ありがとう」と言って死んでほしいという思いのようです。

私たちはみな死にゆく存在です。
人生は期間限定の短い期間。
どんなにお金があっても、どんな豪邸に住んでいても、裸一つで一人で死んでいきます。
瞬間瞬間を大切に、心豊かに生きていくことが豊かな生きかたです。
生かされていることに感謝をして、日々を慈しんで生きたいものです。
今、辛い環境で暮らしている人は、ありがたいことがたくさん隠れているのかも知れません。
気付く事が出来さえすれば、いつでも幸福になれます。

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聖路加病院の日野原先生が言っていたことを思い出しました。
先生は京都大学医学部を卒業して医師になったばかりの頃、初めて担当患者を持ちました。
16歳の少女で、目の大きい美しい娘でした。
結核性腹膜炎という病気で、家が貧しく母が働いていたのでなかなか見舞いに来れず、いつも一人で寝ていました。
下痢が続き様態が悪くなって、個室に移されました。
少女は「先生、長い間ありがとうございました。母が来るまで持ちそうにないから、母に感謝していたと伝えてください」と言いました。
若かった先生は「助かるから、そんなことを言ってはいけない。お母さんもすぐ来るからがんばりなさい」と、強心剤を打ちました。
しかしそのかいもなく、少女は亡くなりました。
その後、日野原先生は思い悩まれたそうです。
あの時なぜ「安心して天国へ行きなさい」と言ってあげられなかったのか。
強心剤を打つより、彼女の手を握ってあげて安心させてあげられなかったのか、と。
日野原先生は、この世の最後に、自分が生を与えられたことに対して「ありがとう」と、自然に言えるようにしたいと言われます。
強いモルヒネを打たなくても、自分は死んでいくという意識を持って「ありがとう」と言って死んでほしいという思いのようです。

私たちはみな死にゆく存在です。
人生は期間限定の短い期間。
どんなにお金があっても、どんな豪邸に住んでいても、裸一つで一人で死んでいきます。
瞬間瞬間を大切に、心豊かに生きていくことが豊かな生きかたです。
生かされていることに感謝をして、日々を慈しんで生きたいものです。
今、辛い環境で暮らしている人は、ありがたいことがたくさん隠れているのかも知れません。
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