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Posted by チェスト at

2013年12月20日

許しは人を変え、人生を変えます

座禅生活146日目。

前回の続き。

小さい頃親から虐待を受けていた、という人の相談を受けたことがあります。
母親からは殴る蹴る、父親からも髪の毛を捕まれてお湯の張ってある湯船に頭を突っ込まれて殺されかけたと言っていました。
その頃のことがどうしても忘れられない。
親と似ている人が近づくと身体が震え出す、という症状でした。



虐待を受けているその場面を見ていた人が2人います。

1人は母親。

もう1人は彼の弟Aさん。

母親は見てるだけで止めようとしません。

Aさんは、わめきながら息子の髪をつかんでその頭を湯船に入れる父親と、呼吸ができず泣きながら必死にもがいて苦しんでいる兄を見て、震えが止まらず、身体が動かなかったそうです。

Aさんは会社で働いているのですが、仕事中もその時のことがフラッシュバックしてよみがえってくる。

人が怖くて、職場では誰とも口をきかないという状況でした。

Aさんと話してみると、受け答えもしっかりしていて、頭のいい感じでした。

でも表情が乏しく、人を寄せ付けず、誰にも心を堅く閉ざしている感じでした。

最初のセラピーでも足を組んで、こっちを鋭い目で見て、かなり構えていました。

セラピーでは、両親が出てくるだけで乖離が起きて、瞳孔が開いて動かなくなる場面が何度もありました。

数回のセラピーで両親に対する憤りや悲しみを出す中で、少しずつ感情が出て表情豊かになっていきました。

両親から


自分たちも同じような育て方をされて、子育てが分からなかった
本当に申し訳なかった
傷つけて本当にすまなかった



この言葉が出てきたとき、Aさんは号泣・・・

嗚咽が止まりませんでした。



許しは人生を変えます。

許しは人を前向きに変えてくれます。

一番よかったのは、Aさんが両親のことを生まれて初めて許すことができたことでした。

そしてそれは、Aさんが自分自身を許すことができた瞬間でもありました。

その日以来、Aさんの表情に笑顔が戻り、今は結婚して子どももいて幸せに暮らしているそうです。



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2013年12月19日

虐待を受けた人は自分供養が必要です

座禅生活145日目。

小さい頃親から虐待を受けていた、という人の相談を受けたことがあります。

母親からは殴る蹴る、父親からも髪の毛を捕まれてお湯の張ってある湯船に頭を突っ込まれて殺されかけたと言っていました。

その頃のことがどうしても忘れられない。

親と似ている人が近づくと身体が震え出す、という症状でした。


数回のセラピーでかなり回復しましたが、いろんなケースがあることに驚かされます。

同じケースはありませんので、個別に対応する必要があります。



大変な事があっても、「過去の事は忘れなさい」と言う人がいます。

でも、表面で忘れてもダメです。

表面では忘れていても、潜在意識や深い部分でははっきりと覚えているからです。

幼少に虐待を受けた人は無意識的に、自ら不幸を呼んでいる事が多いです。

理解できない、辻つまの合わない不運という現象が起こります。

これは、辛かった過去に生きている自分自身が、不運や病気、理由のない不安感や怒りを、今の自分自身に起こさせているからです。

表面上忘れたところで、その影響力は見えない力で確実に影響しているのです。


だから、自分供養が必要です。


どんな自分も許してあげてください。

自分を責めないでください。

「その時の自分が死なずに生きたから、今の自分がある」と思い出してあげてください。


今、自分供養をすれば、過去の自分も解放されます。

なぜなら、時間は幻想だからです。

今の瞬間に、過去も今も同時に存在しています。

今、過去の自分を供養しましょう。

そしてさらに「いまここ」を大事に生きていきましょう。

  

2013年08月16日

自分を愛するって?

「自分を愛する」ってよく聞く言葉ではあるけれど、分かりにくい言葉です。

好きなことをすること?無理しないこと?自分を休ませること?

どれも当たってはいます。でもそれだけじゃない。

結局、自分を愛することって理屈や言葉ではないんだと思います。理屈や言葉ではなく、体感していくものだからそれを言葉で表しても何かしっくりこないんでしょう。

「自分を愛する」ことの根本にあるのは小さい頃の親子関係です。



認識していないかもしれませんが、誰もが心の奥に「怖れ」を抱いて生きています。

子どもの怖れの中で一番強い怖れは、親に嫌われて見捨てられるという「見捨てられ恐怖」です。

子どもは親から見捨てられないように、親に受け入れてもらおうと必死に努力します。

人が自分の感情の存在に気づき、それを感じられるようになるには、乳幼児期に他者から受け入れてもらう必要があります。自分の存在や自分の感情(うれしい、かなしい、さびしい等)を誰かに共感してもらい、そのまま受け入れてもらえたときにはじめて、人は自分を感じて自分という感覚を認識でき、自分を受け入れることができるようになるのです。

これが「自己肯定感」の根の部分になって、自分を愛することができるようになっていきます。

人は理屈や言葉で生きているわけではありません。

理屈や言葉ではなく、自分が存在しているという事実を、いかにそのまま感じて受け入れることができるかが、自分らしく生きられるための鍵になります。

人生が始まったその瞬間から、私たちは、「自分は自分であり、自分のままでいいんだ」という確信を心の奥に刻み込む必要があるのです。