2014年01月26日
恐怖と向き合うことで人は成長します
座禅生活182日目。滝行33日目。
ひさびさの滝行。
昨日の豪雨のあとなので少し心配しましたが、水量はそれほど多くもありませんでした。
水はかなり冷たいですが、心地よく行ができて感謝です。
滝行をすることもあって最近は山に入ることが多いのですが、僕はいつも怖いです。
「山」というものが、なんとなく怖いのです。
登山が趣味という人は多いですが、僕は正直無理です。
もっと言うと、山を含めた「自然」が怖いのです。

滝に行くときは、いつも山道を途中まで車で行きます。
途中で車を止めるところがあるので、そこで車を降りて山道を歩くのですが、そこから明らかに空気感が変わります。
波動が変わるというんでしょうか、人を寄せ付けない雰囲気になります。
車を止めるその場所から急に薄暗くなり、日の光も届かなくなります。
薄暗い中、沢の水の音だけが響き、思わず引き返したくなるような感じです。
それでも一人でとぼとぼと歩いていると、何か別世界に迷い込んだような気になってきます。
いつも通る道なのに、水音が大きくなるにつれて心臓がドキドキします。
そのうち滝場につくのですが、滝を見る瞬間までドキドキは続きます。
そして滝を見た瞬間、なぜかホッとしている自分がいます。
怖いのは、僕が自然の世界とは「神の世界」だと思っているからだと思います。
一歩自然の中に入れば、僕たちは裸一貫、無力な存在です。
どんなに文明が発達しても、僕がどんなに強くなっても、自然には勝てません。
大げさないい方をすれば、僕たちは「神の使い」です。
「神の使い」だからこそ自然を大切に扱い、共生させていただき、尊敬もしなければなりません。
恐怖心は、人が一番向き合わなければならない感情です。
逃げずに正面から向き合うことで、人は大きく成長します。
なぜなら、恐怖心と向き合うことは、自分と向き合うことだからです。
ありがたいことに、滝はいつも僕を恐怖と向き合わせてくれます。
そして恐怖というものが、本当は「恐るるに足らず」ということにも気づかせてくれます。
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昨日の豪雨のあとなので少し心配しましたが、水量はそれほど多くもありませんでした。
水はかなり冷たいですが、心地よく行ができて感謝です。
滝行をすることもあって最近は山に入ることが多いのですが、僕はいつも怖いです。
「山」というものが、なんとなく怖いのです。
登山が趣味という人は多いですが、僕は正直無理です。
もっと言うと、山を含めた「自然」が怖いのです。

滝に行くときは、いつも山道を途中まで車で行きます。
途中で車を止めるところがあるので、そこで車を降りて山道を歩くのですが、そこから明らかに空気感が変わります。
波動が変わるというんでしょうか、人を寄せ付けない雰囲気になります。
車を止めるその場所から急に薄暗くなり、日の光も届かなくなります。
薄暗い中、沢の水の音だけが響き、思わず引き返したくなるような感じです。
それでも一人でとぼとぼと歩いていると、何か別世界に迷い込んだような気になってきます。
いつも通る道なのに、水音が大きくなるにつれて心臓がドキドキします。
そのうち滝場につくのですが、滝を見る瞬間までドキドキは続きます。
そして滝を見た瞬間、なぜかホッとしている自分がいます。
怖いのは、僕が自然の世界とは「神の世界」だと思っているからだと思います。
一歩自然の中に入れば、僕たちは裸一貫、無力な存在です。
どんなに文明が発達しても、僕がどんなに強くなっても、自然には勝てません。
大げさないい方をすれば、僕たちは「神の使い」です。
「神の使い」だからこそ自然を大切に扱い、共生させていただき、尊敬もしなければなりません。
恐怖心は、人が一番向き合わなければならない感情です。
逃げずに正面から向き合うことで、人は大きく成長します。
なぜなら、恐怖心と向き合うことは、自分と向き合うことだからです。
ありがたいことに、滝はいつも僕を恐怖と向き合わせてくれます。
そして恐怖というものが、本当は「恐るるに足らず」ということにも気づかせてくれます。
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