2014年01月22日
嘔吐下痢症とインフルエンザの合併症は大変です
座禅生活178日目。
今日は自宅で一日中寝ていました。
嘔吐下痢症とインフルエンザの合併症。
一つでもきついのに、二つ重なると、もう動くこともままなくなります。
肉体は苦しくて何もできないけれど、布団の中でいろいろ考えました。
誰でも時には、何もしないで昼も夜もずっと横たわることってあると思います。
その時の心境ってどんな感じでしょうか。
仕事のことも、人間関係も心配事も、頭の中には何もないはずです。
人間が本当にくつろぎの中にあるときには、そんなものはどうでもいいものです。
ただその布団の心地よい暖かみ、心配のないくつろぎ、居眠りがただただ楽しいはずです。
そこには布団と、くつろいだあなただけしかいません。

何もなくても、 本来ならば、ただこれだけで人は幸せであれるわけです。
実際、なんにもないほうが、よほど幸せかもしれません。
それを頭で変に解釈し、心配事を頭の中に持ち込んだり、明日のことを考えたりして、あっと言う間に布団のありのままの感触は失われてしまいます。
ただそのままにしておけば、あるのは布団の暖かい感触だけなのに。
僕たちは幸せになろうとして、あまりにも頑張りすぎかもしれません。
頑張れば頑張るほど、今の幸せを逃してしまいます。
幸福とは、僕たちが頑張って手にするものではありません。
幸福の側が、僕たちを手にすると言ったほうが正解です。
僕たちがすべきことはほとんどありません。
できることはただひとつ。
自分がすでに幸福であることに気づいて、ただひたすらその中に浸ることです。
暖かい布団の感触が失われる前に、です。

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今日は自宅で一日中寝ていました。
嘔吐下痢症とインフルエンザの合併症。
一つでもきついのに、二つ重なると、もう動くこともままなくなります。
肉体は苦しくて何もできないけれど、布団の中でいろいろ考えました。
誰でも時には、何もしないで昼も夜もずっと横たわることってあると思います。
その時の心境ってどんな感じでしょうか。
仕事のことも、人間関係も心配事も、頭の中には何もないはずです。
人間が本当にくつろぎの中にあるときには、そんなものはどうでもいいものです。
ただその布団の心地よい暖かみ、心配のないくつろぎ、居眠りがただただ楽しいはずです。
そこには布団と、くつろいだあなただけしかいません。

何もなくても、 本来ならば、ただこれだけで人は幸せであれるわけです。
実際、なんにもないほうが、よほど幸せかもしれません。
それを頭で変に解釈し、心配事を頭の中に持ち込んだり、明日のことを考えたりして、あっと言う間に布団のありのままの感触は失われてしまいます。
ただそのままにしておけば、あるのは布団の暖かい感触だけなのに。
僕たちは幸せになろうとして、あまりにも頑張りすぎかもしれません。
頑張れば頑張るほど、今の幸せを逃してしまいます。
幸福とは、僕たちが頑張って手にするものではありません。
幸福の側が、僕たちを手にすると言ったほうが正解です。
僕たちがすべきことはほとんどありません。
できることはただひとつ。
自分がすでに幸福であることに気づいて、ただひたすらその中に浸ることです。
暖かい布団の感触が失われる前に、です。

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