2014年08月30日
僕の性善説
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座禅生活371日目。
風呂から上がって着替えているときのこと。
4歳の息子がなぜか脱衣所に土鍋を持って入ってきました。
僕は「???」
訳が分からず呆然と見ている僕の前で、彼は「よいしょ、よいしょ」と土鍋を運びこみました。
そして「ぱぱちゃん、見ててね」と言いながら、土鍋の蓋を開けます。
蓋を開けながら息子は「ウワー」と大喜び。
そりゃそうです、なんと土鍋の中には・・・・
何もありません・・・。
目を凝らして何度見ても・・・・何もありません・・・・。
状況がつかめない僕に、息子が三言・・・
「おいしいおいもができたね。一緒に食べよう。おいしいよ」
「あ、そういうことか」
僕はそこでやっと理解しました。
そして脱衣所で二人で一緒においもを食べました。
息子がおいもをつまんでもぐもぐ・・・。
僕もいっしょにもぐもぐ・・・。
一緒に「おいしいね」と言いながら、涙が出そうになりました。

何もなくても喜びって共有できるんですね。
僕たちの本質は純粋な意識。
この世で生きるとは、エゴと共に生きること。
この世で生きること自体、矛盾を含んでいます。
人との関係がうまくいかないのも、エゴとエゴがぶつかり合うからです。
人間関係は、もともとうまくいかないものです。
ただしどんな状況であっても、僕たちの純粋な本質が揺らぐことはありません。
大空の雲のようにたとえエゴで本質が見えなくても、雲の合間から差す光は僕たちの本質を教えてくれます。
誰もがつつがない人生を生きたいと思っています。
気持ちに蓋をしないで楽に、生きたいように人生を生きたいと思っています。
でもそれができないから、みんな苦しむ。
アンビバレントなこの世の中で、自らのエゴに苦しみながらもけなげに必死に生きている僕たち・・・。
間違いなく愛すべき存在ですよね(笑)。
僕たちがエゴなしで、仮面なしで生きる世の中になるにはまだまだ時間がかかりそうです。
小さい子供は僕たちに偽りのない「本質」を教えてくれます。
僕が涙を流すぐらい嬉しいのは、息子が僕たちの「存在の本質」を突いているからでしょう。
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