2014年06月01日
多重人格のすすめ
今日もここに来てくれてありがとう。
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座禅生活283日目。
僕は昔から人の顔色をうかがう癖がありました。
いつもおどおどしていて、周りをキョロキョロ。
目立たないように、自分の気持ちも感情も我慢していました。
環境や育ちにもよるんでしょうが、そうしないと生きていけなかった。
だから自分というものをしっかり持って強く生きている人をみたら、うらやましかった。
そういう人と自分を比較して、自分を「情けない男だなあ」といつも思っていました。
生きてはいるけれど、ありたい自分ではなかった・・・。
生きてはいるけれど、死んでいるのと同じ・・・
どんな自分であっても、自分は自分です。
でもそこにいたのは、人の顔色をうかがうだけの僕。
生きることが不安でしょうがなく、いつもおどおどしていた僕であり、自分らしく生きる僕ではありませんでした。
そんな男を世間は、情けないやつだと思うかもしれません。
でも今の僕は、そんな僕が心の底から愛おしいと思います。

生きていればいろんなことが起きます。
同時にいろんな感情が僕たちの中を通り過ぎていきます。
そしてその瞬間、僕たちはいろんな仮面をまといます。
瞬間瞬間に、無意識に数えきれないくらいたくさんの仮面をまとうのです。
人はみな多重人格者です。
それに気づいて、どの瞬間も自分であることに確信を持てるかどうか。
瞬間瞬間に意識を持って、ありたい自分を選択できるかどうか。
瞬間瞬間を確信を持って生き、ありたい自分でいられるかどうか。
目覚めて生きるか、眠ったまま生きるかの違いです。
僕は自信がなかったから、「社会向けの自分」というものを自分で創っていました。
無意識に社会の要請にこたえようとしていました。
そうすることで自分のアイデンティティーをなんとか保っていた。
幸か不幸か、それがうまくいったこともあった。
でも時間の問題でしたね。
その僕は根底から撃ち抜かれて、絶望とともに死んでしまいました。
死んでよかった。
それからは、まったく新しい人生。
風が吹けばそれを楽しむし、雨が降ればそれもまたよしです。
ゆったりとおおらかに生きています。

今日は早朝に息子を連れて、座禅に行きました。
彼はあいかわらずじっとできず寝転んだり、手遊びをしたり・・・
まったく座禅になっていませんが、まあ長い目で大目に見ましょう。
座禅が終わってから、住職に挨拶に行きました。
住職からは「英才教育ですなあ」と言われましたが、息子は指をくわえてキョトンとしていました。
息子の座禅はなんとなくでいいから、続いてくれたらと思います。
親が子に残せる、目に見えない宝物になればと思っています。
今日もここに来てくれてありがとうございました。
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環境や育ちにもよるんでしょうが、そうしないと生きていけなかった。
だから自分というものをしっかり持って強く生きている人をみたら、うらやましかった。
そういう人と自分を比較して、自分を「情けない男だなあ」といつも思っていました。
生きてはいるけれど、ありたい自分ではなかった・・・。
生きてはいるけれど、死んでいるのと同じ・・・
どんな自分であっても、自分は自分です。
でもそこにいたのは、人の顔色をうかがうだけの僕。
生きることが不安でしょうがなく、いつもおどおどしていた僕であり、自分らしく生きる僕ではありませんでした。
そんな男を世間は、情けないやつだと思うかもしれません。
でも今の僕は、そんな僕が心の底から愛おしいと思います。

生きていればいろんなことが起きます。
同時にいろんな感情が僕たちの中を通り過ぎていきます。
そしてその瞬間、僕たちはいろんな仮面をまといます。
瞬間瞬間に、無意識に数えきれないくらいたくさんの仮面をまとうのです。
人はみな多重人格者です。
それに気づいて、どの瞬間も自分であることに確信を持てるかどうか。
瞬間瞬間に意識を持って、ありたい自分を選択できるかどうか。
瞬間瞬間を確信を持って生き、ありたい自分でいられるかどうか。
目覚めて生きるか、眠ったまま生きるかの違いです。
僕は自信がなかったから、「社会向けの自分」というものを自分で創っていました。
無意識に社会の要請にこたえようとしていました。
そうすることで自分のアイデンティティーをなんとか保っていた。
幸か不幸か、それがうまくいったこともあった。
でも時間の問題でしたね。
その僕は根底から撃ち抜かれて、絶望とともに死んでしまいました。
死んでよかった。
それからは、まったく新しい人生。
風が吹けばそれを楽しむし、雨が降ればそれもまたよしです。
ゆったりとおおらかに生きています。

今日は早朝に息子を連れて、座禅に行きました。
彼はあいかわらずじっとできず寝転んだり、手遊びをしたり・・・
まったく座禅になっていませんが、まあ長い目で大目に見ましょう。
座禅が終わってから、住職に挨拶に行きました。
住職からは「英才教育ですなあ」と言われましたが、息子は指をくわえてキョトンとしていました。
息子の座禅はなんとなくでいいから、続いてくれたらと思います。
親が子に残せる、目に見えない宝物になればと思っています。
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