2013年10月21日
カンナガラ
座禅生活89日目。
うちは実家の隣にあり、祖父母は孫(私の息子)が元気に飛んだり跳ねたり遊ぶさまを見ていつも楽しそうにしています。
この前は幼稚園の運動会に参加して孫以上に楽しんでいました。
以前孫が幼稚園に初めてお預かりをしてもらったとき、それがたまたま節分の日で、鬼の面をした職員におどかされて1時間くらい1人で泣いていたそうです。
その話を聞いて息子にかわいそうな思いをさせてしまったなと思いましたが、祖父母は「よっぽどこわかったんやね。あの子がかわいそうでなみだが出てくるがよ」と涙を流していました。
他人の喜びや悲しみを自分のことのように感じられるのは人間が持つ良心の一部です。
この良心が大きい人ほど、全体のことを考えられる人です。
現代の日本では家族内でも思いやれない人が増えている感じがします。
これを変えるには、一人一人が自分の良心を大切にすることです。

自分の心に神様がいることさえ深く自覚できれば、今の自分の環境にある現実的な問題(金銭・他人との関係・・・)を楽しめるようになれます。
問題がなくならなくても、受け入れて大きな目で見られるのです。
そのうちに本当に問題が解決するものです。
これが、カンナガラ(神様と共に生きる道)と呼ばれる道です。
昔は人々は大自然の中で生活をしていました。
現代では大自然が雑多な社会の中での生活に変わっているだけです。
都会の中にもカンナガラはちゃんと存在します。
自分の良心を大切にして生活をすればよいのです。
必ず現実的な改善が起こります。
うちは実家の隣にあり、祖父母は孫(私の息子)が元気に飛んだり跳ねたり遊ぶさまを見ていつも楽しそうにしています。
この前は幼稚園の運動会に参加して孫以上に楽しんでいました。
以前孫が幼稚園に初めてお預かりをしてもらったとき、それがたまたま節分の日で、鬼の面をした職員におどかされて1時間くらい1人で泣いていたそうです。
その話を聞いて息子にかわいそうな思いをさせてしまったなと思いましたが、祖父母は「よっぽどこわかったんやね。あの子がかわいそうでなみだが出てくるがよ」と涙を流していました。
他人の喜びや悲しみを自分のことのように感じられるのは人間が持つ良心の一部です。
この良心が大きい人ほど、全体のことを考えられる人です。
現代の日本では家族内でも思いやれない人が増えている感じがします。
これを変えるには、一人一人が自分の良心を大切にすることです。

自分の心に神様がいることさえ深く自覚できれば、今の自分の環境にある現実的な問題(金銭・他人との関係・・・)を楽しめるようになれます。
問題がなくならなくても、受け入れて大きな目で見られるのです。
そのうちに本当に問題が解決するものです。
これが、カンナガラ(神様と共に生きる道)と呼ばれる道です。
昔は人々は大自然の中で生活をしていました。
現代では大自然が雑多な社会の中での生活に変わっているだけです。
都会の中にもカンナガラはちゃんと存在します。
自分の良心を大切にして生活をすればよいのです。
必ず現実的な改善が起こります。