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Posted by チェスト at

2013年12月09日

自分の居場所はいつもそこにあります

今日は定例の一日座禅会。

参加者は六名。

天候にも恵まれ、寒くもなく暑くもなく、寺の空気は凜と澄んでいて、ただただ心地よい時間でした。



朝から昼までは一時間半の座禅。

その後作務。

日頃私が一番お世話になっている僧堂、1年の感謝を込めて一生懸命掃除をしました。

その後 本堂にて斎座(昼食)。

音を立てないように気を使いながらの食事。

ご飯、漬け物、味噌汁など質素ではあるが、心のこもった食事。

あつあつの味噌汁が、冷えた身体に染み渡りました。

その後、住職の法話。

そして座禅。

経行。

座禅。

夕方の五時半の鐘が鳴るまで、合計で5時間は座ったでしょうか。

四時半くらいに、いつになく深くまで入り、限りない空を感じることができました。

思えば座禅生活も130日を越えて、完全に生活の軸になっています。

「いつでも勝手に使ってください」
「どうぞどうぞご自由にお使いください」

住職の暖かい言葉が心にしみました。

世の中がどんなに変化しても、自分の居場所がいつもそこにある…

どれだけありがたいことでしょうか。

座禅は死ぬまで続けたいと思います。

座禅をしながら、静かに息を引き取れたら最高です。  

Posted by パット at 21:41Comments(0)座禅

2013年11月14日

そのうち心が分かってきます

座禅生活112日目。

この世は行動が具現化する世界です。

見える世界、行動の実績が優先する世界。

なので、終わってしまった過去やありもしない未来に逃げてはいけません。

いまここ、この現実の行動に無責任になってはいけないのです。

日本の昔からの習い事において、「道」が付くものは型が大切です。

茶道、剣道、柔道、合気道・・・

座禅も、作法手順を大切にします。

型を繰り返した奥に、自分の「心」を観るのです。



最初からは分からないし、それでもいいのです。

私がお世話になっている寺の住職は何十年も座禅をしてきてもやはり作法を大事にしています。

ただし「心」が分かってもこの世では作法は無くなりません。

なぜなら、作法とは生きることだからです。

作法が消える時は、違う世界の作法で生き続ける時です。

人間は、何回も作法を繰り返すうちに、その心が分かってくるものです

繰り返さないうちは分かりません。

感謝も、毎日感謝の気持ちを持つことが大事です。

形が必ず本物に変わって行きます。
  

Posted by パット at 09:00Comments(0)座禅

2013年08月14日

お盆に座禅?

座禅生活42日目。今日はお盆の中日。人の移動も激しいようです。道路の車の数の多さにげんなりしました。鹿児島は車社会やからね。

お盆にもかかわらず、今日も座禅にいそしみました。お寺もその周辺もいつもより人が多く、お墓参りする人でごった返していました。さすがに今日は誰も座禅には来ないだろうと思っていたが・・・来ました。もう1人。なんか1人来られただけで気が楽になりました。座禅は1人でやるものなのですが、場の空気って大事ですからね。まとまりのない記事ですが、今日はこの辺で。
  

Posted by パット at 18:00Comments(0)座禅

2013年07月19日

続けること

座禅20日目。座禅中は足が痛い。痛くならない日が来るのだろうか。
座禅をしていると新人もやってくる。1日に1人くらいの割合であろうか。
女性も時々みえる。
でも独特の雰囲気だからか、続けてやってくる人はいない。
「続けないと何の意味もない」
住職がよく言う言葉。
石の上にも3年。継続は力なり
。  

Posted by パット at 17:34Comments(0)座禅

2013年07月18日

動かないこと

座禅中って少し動いただけで住職にめっちゃ怒られます。
「動くな!」と大声でどなられます。
その声だけが堂内に響き渡り、自分が動いたわけではなくても自分も怒られたような気になります。
なので鼻水が垂れようが蚊が血を吸おうが全く動くことはできません。いまは自分との闘いであるが・・・いずれはそういうのも気にならなくなるんやろかね。
  

Posted by パット at 17:32Comments(0)座禅