時間は幻想なので何も変わりません
今日もここに来てくれてありがとうございます。
座禅生活194日目。
僕は生まれてから小学校くらいまで、ずっと「無言の行」をしていたように思います。
人は生まれて、少しずつ言葉を覚えて話していくものです。
僕は言葉を覚えても自分の意志で話をせず、ただひたすらに周りの様子を見ていたような記憶があります。
周りの大人が世の中の出来事に一喜一憂しているのを見て、とにかく衝撃でした。
エゴ丸出しの人間を見て、あまりに衝撃的で、言葉が出なかったというのが正直なところです。
小さい時無意識にやっていた「無言の行」。
それを何十年も経ってから、「座禅」という形で今もやっているのは不思議な感じがします。
そのころから何十年も経ちましたが、内面は昔のまま何も変わっていません。
時間は幻想ですから、内面が変わらないのは当然なのです。
僕たちは幻想の中で生きています。
自分が生きている現実も、自分が創り出した幻想・・・
そう考えると気が楽になりませんか?
自分が創り出したのであれば、自分で変えることができるからです。
幻想には、実体はありません。
映画と同じ。
スクリーンに映し出されているだけです。
映画のスクリーンに写った映像に自己を同一化するのではなく、自分が映写機の側に立っていることを知ると、映画がどんなに悲惨な内容であっても、苦しむ必要はありません。
それが嫌な映画だったら、違う映画を観るだけです。
好きな映画をレンタルするように、好きな人生を生きればいいのです。
かあるい気持ちでね。
今日もここに来てくれてありがとうございました。
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